単純に狩り

20代で年収1,000万稼いだサラリーマンが上海で社長に就任したら失業したのでシンガポールで起業した話。たまに、アジアの採用事情についても書きます。

親日感情の上にあぐらをかくな

 

 

東南アジアには親日的な国が多いと言われる。

ここシンガポールでもタクシーに乗っている時などに、私が日本人だとわかるとーー私は外見から日本人に見られることは少ないが、それでも例えば私が話す英語のアクセントなどでそれだと分かるとーー 、運転手が嬉しそうに「JapanはGreatな国だ」と語りかけてくれることが多いし、街を見渡してもいたるところに寿司バーやラーメン屋がある。

 

日本は確かに東南アジア諸国から愛されている国だといっていい。それは、こんなサーベイにも表れている。シンガポール人の中で、日本が好きだと回答した人は実に90%に登るそうだ。

https://www.auncon.co.jp/corporate/2012/2012110602.pdf

 

しかし、第二次大戦中、ここ東南アジア地域を舞台に戦争行為や占領を行った日本が、なぜここまでに愛されるのか。

その背景を語る上では、戦後当時の東南アジア諸国の主導者たちの影響を無視できないだろう。

 

 

エルピディオ・キリノをご存知だろうか。

第二次大戦後の1948年から1953年までフィリピンで大統領を務めた人物だ。

 

彼は大統領就任前の1945年、マニラの市街地戦で日本兵に妻と3人の子どもを殺されている。

 

その後1953年、フィリピンで、当時まだ収監されていた日本人戦犯全員に恩赦を出した。重要戦犯以外の日本人捕虜を釈放し日本へ返し、また重要戦犯についても日本の刑務所で収監されるように手配したのだ。

 

しかし、時は1953年、マニラ市街戦からまだ8年しか経っていない。この時、反日感情が根強く残っていたフィリピンでは、大統領の恩赦の意向には国民からの大きな反発があったそうだ。そのまま恩赦に踏み切れば、自らの政治生命に致命的な影響をもたらしかねない。実際、彼は恩赦令を出したその年の大統領選で再選を目指し出馬するも大差で負けている。にも関わらず、恩赦を出すという決断をした。

キリノ氏のウィキペディアによると、恩赦令については、さらっと以下のように描写がある。

 

1953年7月、いまだ反日感情の根強い中、日本人戦犯105人に恩赦令を出し、帰国を許した。 1953年キリノは病気を押して大統領選挙に出馬。再選を狙ったがラモン・マグサイサイに大差で敗れ、その後は政界を退きケソンで暮らした。1956年2月29日に心臓発作で死去した。(出典;Wikipedia)

 

 

折しもその頃、日本人捕虜の家族達からは恩赦を求める手紙などが寄せられていたという。また、恩赦を与えることで日本に貸しを作り日本への賠償問題交渉を有利に進めるための政治的考慮もあったもされる。キリスト教にゆかりが深かったとされるキリノ元大統領は、「赦し」を与えるべきとの考えの狭間に悩む。

一方で、前述のとおり彼は妻と子を日本兵の手によって殺されている。もちろん、職務に私情を挟むべくもないが、量刑が決まっている人間、それも自分の家族を殺した集団をわざわざ減刑する必要があるのか。国民は、圧倒的多数が恩赦に反対していた。彼らも家族を殺されていたからだ。恩赦を出すことは、自らの政治生命を断つも同然だった。それでも、恩赦を出した。

その時の彼の苦悩はどんなものだったろうか。

 

 

余談だが、シンガポールの父、リー・クアンユー氏も、日本兵による華僑人の虐殺が行われた際に、機転を利かせて日本兵による処刑からすんでのところで逃げ果せたということが彼の自伝でも語られている。

その後、シンガポールの指導者になったリー氏は、一貫して日本とは友好な態度を取ってきた。多民族・小国家という国を一つにまとめ上げるために国民のアイデンティティを高めると努力をしていたリー氏にとって、日本を敵国として位置付け政治的に非難し、自国民の愛国心感情を煽るという選択は実に容易で、同時に甘美な誘惑だったにちがいない。しかし、リー氏はついにその誘惑に与することはなかった。

(リー氏は日本との建設的な有効関係を構築した。資源を持たない小国ながらも急成長していた日本を真似て良いところを取り入れ、逆に日本には出来ない徹底した合理化政策で、一人あたりGDPで日本を遥かに凌ぐまでの国にした。)

 

私自身も先日、地元の居酒屋の常連で仲良くなったシンガポール人のおじいさんと何かの拍子で第二次大戦の話になった時、それまで穏やかだったおじいさんが急に態度を変え、強い調子で「日本人はなぜシンガポールで人を殺したんだ」と詰め寄られたことがある。その老人がそこまで激昂するのは初めて見たのでショックだった。良好な関係の裏にも、隠れた小さな憎悪はある。それは、普通に仲良く接している人も例外ではなかった。

 

東南アジアの国々は親日だと言われる。

親日ゆえ、ビジネスがやりやすいという文脈で語られることもある。どうもそういった厚意を所与の条件とするかのような能天気さが行間に見え隠れするが、悪化しかねなかった関係を文字通り命がけで回避した人たちがいるのを忘れずにいたい。