単純に狩り

20代で年収1,000万稼いだサラリーマンが上海で社長に就任したら失業したのでシンガポールで起業した話。たまに、アジアの採用事情についても書きます。

久しぶりの投稿になります。かれこれ2年くらい。

そもそも、このブログを始めたのもたしか2年半くらい前なので、なんと継続癖のないことよ、と我ながら情けなくなります。

 

以前、堀江貴文さんが近畿大の卒業式で話されたスピーチを聞いて感銘を受け、15分くらいのスピーチを1時間半くらいかけて文字起こししたものをここに載せたところ、ものすごい反響がありました。作ったばかりのブログなのにたくさんの人に読んでもらい、たくさんの人に星をつけてもらいました。

 

一方で、一部の人から非難も受けました。「堀江さんの許可は取っているのか」「他人のふんどしでアフィリエイト広告稼ぎ目的の小遣い稼ぎはやめろ」という主旨のコメントやメッセージなどを頂きました。あるいは、別の方からは「俺も同業者だから気持ちはわかるけどな」っていうフォローも頂きました。

 

白状すると、それで腹を立てていたことが大きなきっかけとなって、ブログの更新をやめていました。「やってられっか」と正直思いました。
(ちなみに広告費の設定は設けていないので、小遣い稼ぎという批判は当てはまりません。というか本当はちょっとだけ興味あるのですがやり方がよく分かりませんでした。ただ、もうやらないと思います。こういう事があったので。)

 

当時の自分としては”自分の好きな著名人が残した音源を後から振り返れるように文字に残したい、なんなら他の人にもシェアしたい”、というシンプルな発想しか持ち合わせておらず、「みんなに喜んでもらえると思ったのに何故非難されるのだろう」という気持ちになりました。

 

そんなわけで、しばらくはこのブログを開くのが億劫になっていました。それどころか、この記事に星がつく通知をメールで受け取るたびに、なんとなく後ろめたいような気持ちになりました。小学校2年の夏休み、ズルをして兄や姉に作ってもらった自由工作の雪だるま貯金箱を周りの友達に褒められた時の気まずさを思い出していました。自分が受け取るべきでない手柄を黙って受け取っているような気分でした。

 

しかしまぁ2年もたつと、2年の間にいろんなことが起こるわけで、経営している会社のほうも少しずつ軌道に乗り出してきて、その間にいろんなトラブルを乗り越えたりしてきたり、その度に、批判してくれる人がいることの有り難さや物事にはいろんな側面があること、といった当たり前のことを再認識したり、そもそも他人のスピーチを勝手に文字起こししたのは自分が悪かったかもしれないわけだし(この時代、ほんとにダメなの?という気持ちもあります正直)、批判くれた人も新しい視点をくれたからお礼をしたいくらいだし、そもそも「誰かに言われたこと」で頭を悩ますようでは人間として小さくない?みたいな風に思ってきたりで、こういう自分の内面を整理するのも勉強だなぁと思うようになり、今日あらためて再開してみました。

 

2年も中断していたのを人のせいにしたみたいになってしまいましたが、どうせまたそれくらいの期間が空くと思うので、結局は自分のせいということで。これからまた、この2年間にあったことを書いて行きたいと思います。

 

親日感情の上にあぐらをかくな

 

 

東南アジアには親日的な国が多いと言われる。

ここシンガポールでもタクシーに乗っている時などに、私が日本人だとわかるとーー私は外見から日本人に見られることは少ないが、それでも例えば私が話す英語のアクセントなどでそれだと分かるとーー 、運転手が嬉しそうに「JapanはGreatな国だ」と語りかけてくれることが多いし、街を見渡してもいたるところに寿司バーやラーメン屋がある。

 

日本は確かに東南アジア諸国から愛されている国だといっていい。それは、こんなサーベイにも表れている。シンガポール人の中で、日本が好きだと回答した人は実に90%に登るそうだ。

https://www.auncon.co.jp/corporate/2012/2012110602.pdf

 

しかし、第二次大戦中、ここ東南アジア地域を舞台に戦争行為や占領を行った日本が、なぜここまでに愛されるのか。

その背景を語る上では、戦後当時の東南アジア諸国の主導者たちの影響を無視できないだろう。

 

 

エルピディオ・キリノをご存知だろうか。

第二次大戦後の1948年から1953年までフィリピンで大統領を務めた人物だ。

 

彼は大統領就任前の1945年、マニラの市街地戦で日本兵に妻と3人の子どもを殺されている。

 

その後1953年、フィリピンで、当時まだ収監されていた日本人戦犯全員に恩赦を出した。重要戦犯以外の日本人捕虜を釈放し日本へ返し、また重要戦犯についても日本の刑務所で収監されるように手配したのだ。

 

しかし、時は1953年、マニラ市街戦からまだ8年しか経っていない。この時、反日感情が根強く残っていたフィリピンでは、大統領の恩赦の意向には国民からの大きな反発があったそうだ。そのまま恩赦に踏み切れば、自らの政治生命に致命的な影響をもたらしかねない。実際、彼は恩赦令を出したその年の大統領選で再選を目指し出馬するも大差で負けている。にも関わらず、恩赦を出すという決断をした。

キリノ氏のウィキペディアによると、恩赦令については、さらっと以下のように描写がある。

 

1953年7月、いまだ反日感情の根強い中、日本人戦犯105人に恩赦令を出し、帰国を許した。 1953年キリノは病気を押して大統領選挙に出馬。再選を狙ったがラモン・マグサイサイに大差で敗れ、その後は政界を退きケソンで暮らした。1956年2月29日に心臓発作で死去した。(出典;Wikipedia)

 

 

折しもその頃、日本人捕虜の家族達からは恩赦を求める手紙などが寄せられていたという。また、恩赦を与えることで日本に貸しを作り日本への賠償問題交渉を有利に進めるための政治的考慮もあったもされる。キリスト教にゆかりが深かったとされるキリノ元大統領は、「赦し」を与えるべきとの考えの狭間に悩む。

一方で、前述のとおり彼は妻と子を日本兵の手によって殺されている。もちろん、職務に私情を挟むべくもないが、量刑が決まっている人間、それも自分の家族を殺した集団をわざわざ減刑する必要があるのか。国民は、圧倒的多数が恩赦に反対していた。彼らも家族を殺されていたからだ。恩赦を出すことは、自らの政治生命を断つも同然だった。それでも、恩赦を出した。

その時の彼の苦悩はどんなものだったろうか。

 

 

余談だが、シンガポールの父、リー・クアンユー氏も、日本兵による華僑人の虐殺が行われた際に、機転を利かせて日本兵による処刑からすんでのところで逃げ果せたということが彼の自伝でも語られている。

その後、シンガポールの指導者になったリー氏は、一貫して日本とは友好な態度を取ってきた。多民族・小国家という国を一つにまとめ上げるために国民のアイデンティティを高めると努力をしていたリー氏にとって、日本を敵国として位置付け政治的に非難し、自国民の愛国心感情を煽るという選択は実に容易で、同時に甘美な誘惑だったにちがいない。しかし、リー氏はついにその誘惑に与することはなかった。

(リー氏は日本との建設的な有効関係を構築した。資源を持たない小国ながらも急成長していた日本を真似て良いところを取り入れ、逆に日本には出来ない徹底した合理化政策で、一人あたりGDPで日本を遥かに凌ぐまでの国にした。)

 

私自身も先日、地元の居酒屋の常連で仲良くなったシンガポール人のおじいさんと何かの拍子で第二次大戦の話になった時、それまで穏やかだったおじいさんが急に態度を変え、強い調子で「日本人はなぜシンガポールで人を殺したんだ」と詰め寄られたことがある。その老人がそこまで激昂するのは初めて見たのでショックだった。良好な関係の裏にも、隠れた小さな憎悪はある。それは、普通に仲良く接している人も例外ではなかった。

 

東南アジアの国々は親日だと言われる。

親日ゆえ、ビジネスがやりやすいという文脈で語られることもある。どうもそういった厚意を所与の条件とするかのような能天気さが行間に見え隠れするが、悪化しかねなかった関係を文字通り命がけで回避した人たちがいるのを忘れずにいたい。

 

 

 

 

 

Tomorrow is Disney Land

"Tomorrow is Disney Land."

 

10年くらい前に知人の女性から聞いた話。

彼女が高校生くらいだった頃、外国人の女子高生が留学生として彼女の家に来たそうだ。ある週末、親戚のおじさんたちが泊まりにきて、一緒に食卓を囲んで晩御飯をしたときのこと。

 

留学生は日本語をまだまったく話せなかったようで、家族や親戚のおじさんたちが総出で英語でがんばって話していた。簡単な会話しか出来ないながらも、楽しい雰囲気で食事は進み、さぁそろそろ寝る支度を始めようかというタイミングで親戚のおじさんが言ったのが、冒頭の言葉だ。次の日にみんな揃って朝から出かけることになっていた。

 

「明日は、ディズニーランドだね」と言いたいがために、"Tomorrow is Disney Land"となってしまった、これじゃああまりにも日本語的で、あまりにも直訳すぎる。そんな親戚のおじさんに、彼女はじめ家族で爆笑したそうだ。

 

Tomorrow is Disney Land. 

私は、あまりそのおじさんを笑う気になれなかった。なぜなら、自分では何て言ったらいいのか、その当時は分からなかった。ここで伝えたかったのは、明日ディズニーランドに行くという"事実"ではなく、ディズニーランドにみんなで行くことが楽しみだねという"感情の共有"だ。おじさんの一言は、むしろ、言いたいことがストレートに表現できていて、しかも、どことなく「楽しみだね」という気持ちが行間ににじみ出ている(気がする)。

当時英語がまったく話せなかった大学2年生だった自分は感心してしまった。

 

堀江貴文さんの近畿大卒業式スピーチ 全文書き起こし

堀江貴文さんが近畿大の卒業式で語ったスピーチが話題になっていますね。

すでにまとめられているみたいですが、全体を通してとても胸を打つ内容だったので、自分向けのメモがてら、書き起こすことにしました。

言葉のチョイスもセンスのある方なので、なるべく表現は音源に忠実に書きました。

 

spotlight-media.jp

 

 

 

皆さん、おはようございます。

ついに皆さん、これまで生まれてから20何年間か、レールの敷かれた上をただ走ってきた人生をここで終えることになります。

これからは、レールがあるようでレールのない世界に皆さん突入していくことになると思います。

 

これまでは、卒業したあと就職活動とかまぁたぶんしたんでしょうけど、同じ会社でずーっと勤め上げて定年退職して、その間に家族を持って家を建ててみたいな、いわゆる普通の生活というのをこのあと皆さんは送っていくことになったのかもしれませんが、そんな未来は、おそらくみなさんのうちの本当にごく一部の人しかそういった未来を歩まない、いや、歩めないと思います。

 

今、私が創業したライブドアという会社もそうだったんですけれども、インターネット、そしてスマートフォン、そういったものが社会の仕組みを大きく変えつつあります。

まだみなさん気づいてないかもしれないです。スマートフォンでゲームやってるだけかもしれないですが、みなさんが知らないうちに、世界中のすごい人たち、頭のいい人たちは、どんどん皆さんが知らないうちに、新しい技術を開発して、勝手に世の中を変えていってしまっています。

まず、みなさんはその事実に気づいてください。ただ今まではレールに乗って大学を卒業すればよかったかもしれないですが、これからそんな甘くないです。

 

自分で出来るだけ多くの情報に接することがまず大事です。そのためのツールは揃っている。別に先生に教わらなくても、自分で、たとえばスマートフォンのニュースアプリを使って情報に接することも出来るし、ソーシャルネットワークを使って、世界中の、自分が「面白いな」「この人の話聞いてみたいな」っていう人たちの情報にすぐに辿りつくことができます。簡単です。まず、自分で情報をーー世界中の素晴らしい頭のいい人たち、先を行ってる人たちの情報をーー、触れることができるので、まず、そのことを頭の中に入れておいてください。

そして、それだけじゃダメです。これからは、そうやって仕入れた情報を、自分の頭で考えて、そして自分で発信して、頭の中を整理して自分で考える癖をつけていかなければいけないです。それはどうやってやるのか?簡単です。インターネットでブログやら、ソーシャルネットワークやら、そこで毎日発信し続ければいい。非常に簡単なことです。それをできれば毎日やってほしい。そうすることによって、世界中の様々な情報を自分で頭の中に入れて考えて自分なりの判断ができるようになると思います。

 

なんでそんなことをしなきゃいけないのか。これからは、権威が当たり前じゃなくて、もうアテにならない時代になってくると想います。いままでは、ほんとレールの上を走って、そして権威がいうこと、たとえばマスメディアがいうこと、あるいは大きな会社に入って上司がいうこと、それに従っていればよかったかもしれないです。

 

しかし、みなさんは気づいていないかもしれないけれどもそんな時代はもう、とうに、終わりに近づいております。これもすべてがインターネットが作り出したグローバル化がもたらしたことです。みなさん、ほとんど日本人かもしれない、ーーまぁ多少外国人の人も混じってるかもしれないーー、が、ほとんど日本人でしょう。日本は、戦後何十年も高度経済成長で、そして世界第1位、第2位の経済大国って言われるようになりました。非常に豊かになりました。たぶん、僕の世代よりも上の世代じゃないと、日本が貧しかった時代のことは知らないと思います。当然ながら、ここにいるほとんどのみなさんは日本が貧しかったころのことなんか、知らないでしょう。来賓の、保護者の方々は、違うかもしれないですけど。豊かな日本が当たり前だった時代は、とうの昔に終わりました。みなさんも、そこも気づいていないかもしれない。先日、私は札幌でタイ式マッサージを受けました。すいませんなんか、庶民的な話で。 6,500円で90分だったんですね。しかしながら、「ポイント割引があります」ーー言われて、1,500円引きにしていただきまして、90分で5,000円でした。今年の1月、僕はタイという東南アジアの国に行ってきたんですけれども、そこが、やはり90分で500バーツ。プラス、揉んでくれた人に200バーツのチップを渡しました。合計700バーツ。さていくらでしょうか。だいたい今、日本円、円安になっておりますので2,500円です。もう、北海道の札幌のマッサージ屋さんの代金と、タイのバンコクのマッサージ屋さんの代金、たった2倍の差しかないんです。現状でこれです。ものすごい勢いで、東南アジア、経済発展してます。彼らの中の高給取りの人たちは、完全に日本人のホワイトカラーの年収を上回ってます。そして、富裕層の人たちごろごろいます。タイのバンコクに行くと、ひとり5万円の寿司屋さんが、毎日満員だそうです。そんな時代に突入しつつあるんです。

そして、そんな時代に突入しつつあるという危機感を持っているひとがほとんどいない。これは、みなさん学生さんだけじゃなくて、政財界にもそういう危機感を持っている人は少ない。グローバル化っていうのは、そういうことです。たくさんの国、特に日本のようにインフラの整っていない国、いきなり携帯電話の基地局ができます。そしてスマートフォン。中国の会社が作ったスマートフォンが、100ドル以下でばら撒かれます。そうやって、今までインフラが整ってきてなかった、例えばアフリカの山奥の国の人たちが、そうやって簡単に世界最高峰の知に触れる機会を持つことになります。当然ながら、優秀な人たちは、インターネットにアクセスして、スマートフォン経由でインターネットにアクセスして、世界最高峰の知を英語ベースで手に入れることになるでしょう。そして皆さんは、その人たちと同じ土俵にたってこれから生きて行くことになります。おそらく、僕が最初に言った努力をしない人たちというのは、取り残されていくことになると思います。厳しい社会がこれから待ち受けてます。そんな中、これまで生きてきたように、レールの上さえ走ってりゃいいやと、周りの顔色をみながら、ーーみんな卒業式はスーツにネクタイで、来てる。着物を着てきてる。けど、就職活動いったらダークスーツで暑い中、汗かいて、周りの目を気にしながらーー、周りと同じように就職活動してりゃよかった。でもこれからは違います。就職できて安泰だと思ってたらこれ大間違い。みなさんが、一生勤め上げられると思っている会社は、たぶんどこかで、つぶれたり、どこかの会社に吸収合併されたり、すると思います。それを前提で生きていってください。

 

そして、それは仕事だけではありません。これからたぶん人間関係も大きく変わっていくことでしょう。家族制度も大きく変わっていくことでしょう。今の常識は、10年後・20年後は、全く通用しないようになっている可能性は非常に高いです。そんな時に、どうすれば生きていけるのか?それは、まず最初に僕が言ったとおり、情報を自分で収集して、自分の頭で考えて行動する力を身につけることです。そして、常識に縛られないことです。今みなさんが常識だと思っていることは、例えば20年前は常識ではなかったこともたくさんある。常識とか、道徳とか、倫理とかこういったものっていうのは、5年・10年単位で簡単に書き換わります。そして、そのスピードというのは、グローバル化で加速していくことになると思います。

 

だけれども、未来を悲観することはないです。未来は、僕はもう、 心がけ次第だと思う、みなさんの。わたしは多分、みなさん、知ってる方からすると、ジェットコースターのような人生を送ってきたと、思われてるかもしれません。そして、数々の失敗を繰り広げてきたと思ってるでしょう。そして、たとえば部下から裏切られたとか、信頼してる人から裏切られてつらくないんですか?とか、恨んでないんですか?とか、すごく聞かれることが多いです。

でも、僕は悪いことは忘れることにしています。過去を悔やんでも、良いことは何一つないです。ただし、これからたぶん、みなさん、どんどん失敗していくと思います。チャレンジをするってことは失敗をする確率も上がるってことです。逆にいうとチャレンジしなければ、失敗することはないかもしれない。でも、成功することもあり得ない。

だから、失敗した時にいい処方箋というは、失敗した段階で、再発防止策をとる。二度と同じ失敗をしないように、どうやったらいいのか、その場で考える。そして、考えたら、酒でも飲んで、騒いで忘れる。次の日にはすっぱり忘れる。私もそうしています。そして、これから自分たちがチャレンジしていくことは必ずうまくいくと、思い込むことです。

 

私はよく、まぁみなさんみたいな世代の人たちと話す機会が多いです。そして、皆さん、「グローバル化で、これから道なき道を歩んでいかなきゃいけない、大変だ、大変だ」「年金はもらえるんでしょうか」とか「これから日本はどうなっていくんでしょうか」とか「私はとても不安です」って言う人たちすごく多い。だけど、僕は老後のことなんか考えない。老後のことは老後になってから考えましょう。いくら準備してたって、50年後のことなんて分かりっこないですよ。いまから50年前に出た未来予想図とか、その当時に出た、例えばSF映画とか観てみてください。笑っちゃうような、笑っちゃうような描写がほとんどだと思います。人間なんて、5年先の未来だって、僕だって予測できないです。いまから10年前に、みんながこうスマートフォンを持って歩きスマホとかしながらツイッターとかラインとかやってる未来想像できましたか?みなさん、10年前に。できなかったでしょう?僕も出来ませんでした。だから未来のことなんか考えることには意味がない。そして、過去を悔やんでる暇はみなさんにはないはずだ。なぜなら、これから、グローバル化で競争激化して、そして、未来には僕は楽しいことしかないと思います。それは、どうやったら楽しくできるか。それは今を一生懸命生きることです。なぜ私が、いろんなことにチャレンジをして、そして、いろんな失敗をしながら、そしてたくさんの人に裏切られながらも、こうやって楽しく生きられてるかっていうのは、今を生きてるからです。今を集中して生きてるからです。僕は集中すると周りが見えなくなるくらい集中します。まさに、寝食を忘れて一つのことに熱中する癖があります。みなさんもそうなってほしいです。これから生きて行くうえで大事なことは、僕は目先のことに集中することだと思う。長期計画なんか関係ないですよ。まずそれをやってください。それをやらない限り、始まらない。何も始まらない。そして、今僕が言ったことを一つの言葉にまとめて、最後にみなさんの餞にしたいと思います。餞、っていうのかな?贈る言葉にしたいと思います。

 

未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ。

これから大変なことあると思いますけど、頑張って、一生懸命生きてください。

ありがとうございました。

初対面の複数の人と話すときに僕が気をつけていること(1対N 編)

お久しぶりです。

4月に入り、シンガポールでは夜の10時30分以降、公道などの屋外のパブリックスペースでお酒を飲むことが法律で禁じられました(バーで飲むのは可)。

それで、今日知ったのですが、なんと10時30分になったらコンビニでお酒を買うのも禁じられているようです。

飲むのがダメなだけじゃなくて、買うのもダメなんですね。

「買ったら飲むやろーー!(by政府)」ということなのでしょうか。基本、性悪説にもとづいているシンガポールです。

 

 

さて前回、初対面の人と話すときに僕が気をつけていること(1対1編) - 単純に狩り

で相談をいただいた学生さんから、複数の人と初対面で接するときにはどういうことを心がけているか?という質問をいただきました。

 

僕のコメントを面倒なのでそのまま載せます。

 

場を盛り上げる。話に相槌を打ったり質問をしたり、つっこみをいれたり。

これは一番に意識していますね。その場にいる人たちで盛り上がらないと、そもそも自分が楽しめないですもんね。

 

話の主導権を握る。相手の発言に対して、目をみながら相槌を打ちます。これをやるだけで、面白いほどにみんなが自分の目をみて話すようになります。◯◯(*学生)さんは目に力があるからなおさらいいね。

商談にせよ、ネットワーキングパーティーにせよ、就活のグループディスカッションにせよ、行くからには自分がそこに居るという存在感はちゃんと示したいですよね。喋ってる人の目をみてフムフムうなづいているだけで、どういうわけだか自然と求心力が増し、みんなが自分に向かって話すようになります。

 

相手に、「また会いたい」と思わせる。自分が面白い人だと思わせたり、相手にメリットを出せないと、長期的な信頼関係が築けません。◯◯さんは、ひょっとすると自分のことに意識が行き過ぎているのかもしれませんね。

偉そうなこと言ってました。思い返すと恥ずかしいです。

 

初対面での印象をちょっとだけ悪くする。目上の人に対しては、あまり下手(したて)に出過ぎず、”斜め下から目線”を意識しています。

これは本当そう。営業スタイルにも言えることだと思います。上から目線は以ての外ですが、下すぎてもダメです。あえて軽くdisってみたり、突っ込んだと思いきや相手を立てたりして、バランスを取りながら結果的には”ちょい下”から目線。

 

初対面の複数の人と話すときに僕が気をつけていることでした。

 

 

初対面の人と話すときに僕が気をつけていること(1対1編)

おはようございます。

シンガポールは今日も暑いです。先週あたりから、シンガポールの大学も後期の授業が始まり、キャンパスも賑わってきました。

 

仕事柄、学生さんと話す機会も多く、よく相談を受けるのですが、昨日もシンガポール国立大学の学生さんからこんな相談を受けました。

 

こちらで日本人の方に時間を作っていただいてお話するとき、どういう質問をすれば有意義な時間を持てるか、いまだに模索中です。

 

 

初対面の人と会ったときに、どんな質問を繰り出せばいいのか悩む方は社会人の中にも多いと思いますが、ましては学生さんとなると、何をどんな風に聞いたらいいのか悩むことが多いようです。

 

もともと僕は初対面の人と話すのがかなり得意なほうで、特に相手の話を引き出すことに関しては日頃から意識してやっていることがあったので、こんな説明をしました。

*学生さんへの個別のアドバイスをこの前に書いているのですがそれは割愛

 

さらに、少し一般的な、ざっくり相手を知るためのテクニックを紹介しますね
 
僕が初対面で人に会うときによく工夫するのは、相手から話をなるべく映像で思い浮かべて、実際に自分がその話の登場人物になっているのを想像してみることです。
 
そうすると、「今おっしゃってたことって、口では簡単に言うけど、実際やってみると◯◯の部分がすごく大変だったんじゃないかな?」とか、「想像してみると、いろんな人の協力が必要そうだけど、どうやって協力を仰いだのかな?」とか、より具体的な疑問点がおのずと湧いて出てきます。
 
それと、下手なインタビュアーは、関係ない質問をいくつもしがちですが、それよりも、相手の言った話に対して深掘りしたり、異なる条件との比較をする方が、建設的なキャッチボールが出来ます。
 

すると、丁寧なお礼とともに、

相手の言った話に対して深掘りしたり、異なる条件との比較をする」というのは具体的にはどういうことでしょうか?

 

という質問が来たので、以下のように回答しました。熱心に話を聞いてくれる人には、いくらでも丁寧に説明します。笑

 

話をタテ方向に深く掘り下げることと、ヨコ方向に広げることを意識すると、会話が深まりやすいし、聞きたいことも自然と導けます。

 

たとえば、新規営業をやっていて、1日に100件電話をかけて、営業でセールストップになった人に会ったとしますね。そしたら、その話の全体像をイメージしたうえで、まずタテ方向に掘り下げます。そのときに、その人がおかれた状況と同じ状況に自分が置かれていると想像するんです(なるべく映像で)。

 

「営業のプロセス全体はどうなっていたのか」「どうやって電話だけで商談を掘り下げたのか」「1日100件ってことは、8時間でわって一時間あたり12件ぐらいかー大変そうだなー」「1日100件ってことは、1ヶ月で2000件か。お客さんごとの営業進捗の管理はどうやっていたんだろう?」営業の結果にも繋げたってのはすごいよな」「そもそも営業ってまずはお客さんとコンタクトを取って、関係性を深めて、お客の課題をヒアリングして、そのどこかにブレイクのヒントがあったのかなとか、想像することで、気になることが無限に湧いてきますね。で、想像してみて、気になったり、わからなかったら質問すればいいし、自分の仮説があったらそれをぶつけてみればいい。

 

次に、ヨコに広げてみて、たとえば自分の経験のなかにどこかで販売の経験があったとしましょう。百貨店で、化粧品のサンプル品の試供→販売に繋げる、という販売の仕事の経験があったと仮定して、そうすると、その時点で、電話100件した人とは営業のスタイルが異なります。「百貨店の場合は、化粧品売り場にいるという時点で、すでに化粧品に関心の強い人が多いかもしれない」「電話営業だと電話をかけた相手に購買意欲があるかどうかがわからないのでは?」「そうだ、その辺のターゲティングはどうしていたんだろう?よし、聞こう。」となります。 こんな感じで、違う例との比較の質問をすることで、その相手の経験したことの特異性が際立ってきます。

 

いかがでしたでしょうか。初対面の人に会う世間話だけはなく、営業マンがお客さんにヒアリングをする際などにも大いに役立つテクニックなので、ぜひ使ってみてください。

 

 

 

 

スカウター

ドラゴンボールスカウターを使うまでもなく、

話をしていて圧倒されるひと、
ってのは居ます。
 
今日はそういう人に会いました。
自分の発想の貧弱さ、行動の量と質の低さを反省しました。
 
新年早々の反省。。